御由緒

 天正二年(一五七四年)前田利家公封国の時、奈良の春日大社から御祭神を勧請したのが始まりと言われています。当初は、浅野川沿いに小さな祠を建て、天正七年(一五八九年)現在の長町二丁目の木の花幼稚園辺りに移転し、寛永九年(一六三二年)現在の長土塀三丁目元車交差点付近に移転しました。

 金沢市中村町に鎮座する春日社(現在の中村神社)の別社で以前は「宝久寺の春日」と呼ばれ、修権派山伏の觸頭生廉山宝久寺が奉仕していました。中村町は大きな村(一説には三千石ともいわれる)で、旧町名、宝船路町、伝馬町、西馬場、長土塀、高儀町、大豆田、藺田町、などが含まれており村落も犀川右岸でしたが、市街地拡張の政策により現在の左岸に移し、同社も移転しました。明和五年(一七六八年)五月二九日の洪水で流失したため、自然災害・災難などからの願いを込め、現在の地に改めて産神社として社殿を建立し今日に至っています。

 明治元年(一八六七年)の神仏分離令により、明治二年に春日社と改め、同六年(一八六七年)犀川神社と改称しました。同十二年(一八七九年)本殿を造営し、同十三年十月拝殿を改造しました。

 また、宝久寺の元祖空峯は藩祖利家公と幼友達で、大和の国大峰山(山伏修験道の本山)への代参をした間柄でした。利家公が越前府中のときは府中に居城するや金沢へ移住するほどの大親友だったということです。

 

  御祭神   天児屋根命(あまのこやねのみこと)

                      比咩大神(ひめおおかみ)

                      武甕槌命(たけみかづちのみこと)

                      経津主命(ふつぬしのみこと)

                      菅原道真公(すがわらみちざねこう)